Meditation
ヨガはまさに科学である。アーサナとプラナヤマ(ヨガのポーズと呼吸のエクササイズ)は体を完全なものにし、奉仕と慈善行為は心を大きくします。祈り、ジャパ(神様の名前を復唱すること)、キルタン(祈りの歌を歌うこと)、そしてその他の祈りの練習は精神を浄化し、より精妙なものにします。
大望を抱く人は、今、人生の最終段階のために完全にその術を身につけています。
それは最も困難な神への巡礼の旅です。それは闇に満ちていて、大望を抱く人(aspirant)は、浄化された精神と共にこの闇を突き破らなければならないのです。
浄化された精神は、集中のためにふさわしいものでなければなりません。集中とは心の焦点です。
精神は具体的な目標や抽象的な考えに焦点を合わせることができます。
目標が具体的ならば、「集中」は初心者にとってより簡単なものになるでしょう。また、心地のよい集中のための目標を選ぶべきです。このようにするだけで精神が集中の目的から離れてさまようことを防ぐことができます。
まず集中は、ろうそくの炎、時計の秒針の音、夜空の星、OMマーク、個々の神様の絵によって練習できます。これは、体内の適したスピリチュアルセンター(チャクラ)に沿って行いましょう。
修行者は、目を閉じ、眉間、または鼻の先に集中することも。
集中によって得られないものはありません。
瞑想は強烈な集中です。真実と知識の鉱山を深く掘り下げることです。
瞑想は、神のどんな姿、形でも練習を積むことができます。これは具体的な瞑想です。
熟練ののち、大望を抱く人(aspirant)は目を閉じていても、その姿かたちを心に思い浮かべることができるでしょう。瞑想は、抽象的な考えと多様なベーダーンタ哲学の「私は永遠」、「私は無限」などの教えでも行うことができます。
師は言います。「瞑想なくして学識はない。大望を抱く人は、自身の魂をかき回す。真実ははっきりと現れてくる。瞑想は平和と肉体的、物理的、精神的な強さを与える。」
シヴァナンダは、30分の瞑想は1週間を微笑みながらすごすために十分な時間であると、断言しています。
瞑想は規則的でなければなりません。サットヴィック(冷静で落ち着きがあり、純粋な状態)な雰囲気で、思考が流れ始めることを明らかにし、それを察知するときはいつも瞑想のために座っていなければいけません。
師は言います。Brahmamuhurtha(朝4時から6時の間)は瞑想に理想的な時間です。
なぜでしょう。彼は答えを与えます。
朝4時から6時の間の空気の中にサットヴァはある。
空気は穏やかであり、
そして世界は眠りについている。
Raga-Dvesha(好き、嫌い)の心の動きは、
まだあなたのマインドの中を流れ始めていない。
あなたはただ深い眠りから帰ってきた。
目的もなく至福を楽しむとき、
そのときあなたは容易にマインドを納得させることができる。
本当の幸せは内側にある。
ヨギ、Jnanis(賢い人)、哲人はこの時間に目覚める。
あなたは彼らの思考により、大きな利益を与えられるだろう。
このBrahmamuhurthaを1日も逃さないように。
探求は知識の新しい展望を開眼させます。しっかりと真実へ導きます。
たとえば、「私は誰か」という質問を始めたとします。
するとすぐに自分の鼻、目、耳のような感覚器官と自分自身を一致させることができない、ということが分かります。なぜなら、そのうちの一つ、またはそれ以上の器官がなくても生きることができ、生命は血管の中を脈打つことができるからです。
すなわち彼は肉体ではないのです。
そしてまた精神でもないのです。なぜなら、無意識の状態や深い眠りの状態でさえも生きているから。
精神がその作用を止めるとき、彼は存在し、心臓は脈打つ。
そしてすべての人の中にいる‘私’とは何なのでしょうか。
スワミシヴァナンダは、本当の‘私’とは、すべての存在の背後にある原動力であるブラフマン(普遍な存在)、アートマン(真我)以外の何者でもないと、宣言しています。
それは、マインドで考え、目で見て、口で食べ、耳で聞き、など存在する全ての生物の意識の目撃者です。
ある人は深い眠りから目覚め、そして「わたしは夢のない眠りを楽しんだ」と言いました。
これは、肉体と精神が深く安らかな眠りの中で休んだという事実を覚えている、という意識の目撃です。それ以外に考えられません。
ほとんど死んだような状態の深い眠りの精神は、意識して眠りの音を楽しんだり、それを記憶することができません。
眠りを楽しむ人がアートマンです。
スワミジは、自らこの滅びやすい肉体ではなく、本当の自己であるアートマンと一体感を持つために魂を追い求める人々(spiritual seelker)に繰り返し忠告しています。一定に自ら意識の目撃者やアートマンと一体化することは魂の成功(spiritual success)への近道です。
この技術を身につける人は、すぐに肉体の意識の上へ上昇することができます。
信仰の秘密は、ある必要不可欠な特質を認識することにあるのです。それは、その人自身の外側にあるものになることではありません。外側へ向かって、神と結合するという、人と神を分けるというようなことではないのです。
神はすでにそこにいる。どこにでもいる。私たちの内側にも、外側にも。
肉体と精神の中に納められた人間とは、無知の精神が生み出した幻想に過ぎません。
瞑想と質問は大望を抱く人(Aspitrant)に彼自身が何か、ということを感じ、気づかせるのです。そして結局は肉体、精神のかたまりではくブラフマンである、ということに気づきます。
英知の幕開けを見抜いたとき、修行者は自己の内に秘めた存在に気づくのです。
そしてその存在がブラフマンである。
その人自身は神であり、サーダナ(魂の練習)の全ては彼に彼自身の神の自然を気づかせ、神は彼自身を探していることを意味しています。
初めは、ヨガサーダナは、精神を浄化します。後になって、探求者はこの浄化された精神を使って、集中し、瞑想し、瞑想の最も深いポイントに到達し、浄化された精神は内側の神の中で溶け、自己を失い、その場所を破壊します。そして神だけがとどまる。存在がとどまる。神の意識がとどまる。
ヨガの聖書のなかにある教えに、燃え上がる火の中の乾いた枝、その枝自身は最終的に火の中で消費されるとあります。
浄化された精神はまるでこの枝のようなものです。神の意識の内側の炎を燃え立たせるのを助け、そしてその過程で、自身を火の中で破壊するのです。サマディ(三昧)において、精神は、カンファー(クスノキから採れる芳香剤)が火の中で溶けるかのように、ブラフマンの中で溶けるのです。
mami翻訳
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コメント
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長文翻訳お疲れ様です
日本語で読んでも…なかなか難しい
ブラフマン、アートマン?
きっと私はジョーカーマン
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>itopyyさん
maiです。
itoppyはアートマン個人の魂~
ブラフマン宇宙の魂
全然逢えないね。